略歴

中田 良成 (なかた よしなり)

岐阜県各務原市で出生

岐阜高校、京都大学法学部卒(佐藤幸治(憲法)ゼミ)

1998年4月 弁護士登録(50期)葵法律事務所に入所

2003年4月 葵法律事務所パートナー

2009年6月 葵法律事務所から独立して、中田良成法律事務所設立

2019年2月 出口治男弁護士と共同して、出口・中田法律事務所設立

 

 

《趣味等》 

■高校〜大学:バドミントン部に所属
■1996年9月に尺八を習い始め、現在でも「細々と」続けている(都山流師範・山号は中田訴山)
■2015年5月に少林寺拳法を習い始め、2018年4月に黒帯取得

 

 

《自己紹介》

 岐阜県の田舎に、姉2人の末っ子長男として生まれ育ちました。

小学校のときは少年野球、中学校のときは陸上部で、少年時代はいつも泥んこになりながら公園やグランドを走り回っていました。

 田舎ではありましたが、通っていた中学校が非常に荒れていたことから、当時、生徒会長をしていた私は、「悪い事をした者に対し、厳しく処罰を求めることができる検察官になりたい」という思いを抱くようになりました。そのような将来の野心(?)を持った私は、高校時代、「京都大学法学部 合格!」と下手くそな字で自筆した紙をお守りの中に入れて持ち歩き、頑張って勉強しました。そのお守りのおかげ。。。ではないと思いますが、当時、運も味方してくれ、希望どおり京都大学法学部に入学することができました。

 大学入学後は、中学からの「野心」であった検察官になるべく、右も左も分からないまま司法試験の勉強を始めました。ところが、大学で刑事手続きを勉強するうちに、「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(罪のない人)を罰するなかれ」という考え方に感銘を受けるようになり、検察官から一転して弁護士を志すことに気持ちが傾いていきました(とはいえ、同じ司法試験なので結局やるべき勉強は変わりませんでしたが)。

 当時は合格率3%の司法試験になんとか合格し、司法修習地(裁判所、検察庁、弁護士会の研修先)が決められることになりました。私は、故郷の岐阜を第一希望としましたが、諸般の事情により、その希望は叶わず、思いもよらぬ京都に配属されました。そのことが、私の弁護士人生の大きな転機であったと思います。

 そこで縁あって、そのまま京都で弁護士をすることになり、結局、京都には18歳のときから住み続けて現在に至ることになります。

 弁護士になったばかりの新人の頃は、中学時代に法律家を目指すきっかけとなった「非行少年」の立ち直りに関心があり、少年事件を多く手掛けてきました。当時は自分では「お兄さん」のような気持ちで少年と接していましたが、いつの間にか今では「お父さん」のような気持ちで接するようになっています。いずれ「お爺さん」のような気持ちになっても、頑張りたいと思います。

 また、弁護士になってすぐに薬害ヤコブ病訴訟弁護団に加わり、薬害に苦しむ人たちの救済に微力ながら関わることもできました。原告の方たちと一緒に、被告であるドイツの企業を訪問し、被告企業の代表者らと直接面談したことや、国側の専門家証人(その分野の第一人者)に対する尋問を担当したことも、非常に印象深い良い経験となりました。

 もとより、自分が恨めしくなるほどいろいろなことに関心があり(過ぎ)、これまで、民事事件、家事事件、刑事事件をはじめとして、多岐な分野にわたり弁護士としての経験を積んできました。

 法的問題において悩みを抱えた人やトラブルに巻き込まれてしまった人が、最後はその問題の解決により笑顔になることに大いに喜びを感じています。

 

 見た目どおりの「敷居の低い」弁護士ですので、まずは、お気軽にご相談ください。